周囲にとても恵まれた銀行員時代

 

最初はとまどった職場環境でしたが、基本的な社会人としてのマナーや考え方、仕事への取り組み方など今の自分の基礎となっています。

仕事への取り組みは非常に厳しい支店で、営業の成績が全店でトップの支店でした。

自然と自分もそのような働き方が当然と考えていたと思います。

 

営業1年目で、さすがに総合でトップにはなれませんでしたが、新規開拓では全店でトップになり営業全体でもトップ10に入ることができていました。

良い先輩、上司、支店長に恵まれたからです。

 

何でも質問すれば答えてくれて、今のように残業に対してうるさくなかった時代ですので、遅くまで先輩方も付き合って指導してくれていました。

昔から個人の成績は気にしたことがないというか、他人と比較することも興味が無くてランキングも本当に気にしていませんでした。

 

先輩方も営業成績は1位から上位を独占していましたが、個人プレーをする方もいなく、それぞれが得意な分野で支店の成績を出していく雰囲気があり、結果として個人の成績もよかったという感じでした。

これだけ素晴らしい先輩や支店長のいる支店がトップであるのは当然だという思いはあり、足を引っ張りたくないという気持ちで、とにかく勉強しました。

 

占いとかは信じないのですが、2歳か3歳頃、私の手相を親が見てもらったことがあるらしく、人には恵まれると言われたそうです。

たしかに周りの人に恵まれていると思います。

 

社内だけでなく、営業先でも素敵な社長さんは多く、今でもお付き合いをさせて頂いている方もいます。

そして、私はタイミングよく良い出会いがあり、普段から運が良いなあと本当に思っています。

素敵な出会いに感謝です。

 

毎日忙しく過ごしていましたが、自分の中で29歳という区切りを意識しながら勉強の日々でした。

北京の方からは、海外に出るのは一日でも早い方が良いと言われていました。

北京に来れば全て教えてあげるし、面倒みるからと。

 

でも、やはり海外に出ていくには勇気がいりましたし、特別な能力が必要だと思っていました。

子供の教育を考えれば海外に出ていくべきだとは分かっていました。

 

金融の現場で日本の企業が疲弊している現状を見て、日本の経済が決して明るいわけではないこともわかっていました。

 

海外へ出るかどうかで葛藤する

 

でも、海外に出るって大変な決断ですよね。

今でこそ、海外就職も選択肢にあるにはあるかもしれませんが、当時はアジアや中国に対して決して良い印象があったわけでもありません。

香港が好きでも香港に就職するというのは、ちょっと違うのではないかと思います。

 

そうこうしているうちに、姉が海外に行くと言い出しました。

姉は英語が好きでずっと勉強を続けていましたが、1997年にシンガポールに英語留学をしていました。

 

アジアに英語留学をするという概念が日本人には無かった時代です。

姉はアジアへの英語留学する日本人のさきがけではないかと思っています。

今でこそ、フィリピンとかアジアへの英語の留学というのはありますけど。

 

このときにシンガポールという国を強く意識するようになっていました。

奇しくも香港返還の年でしたし。。。

 

そこから、4年後の2001年に香港に渡りました。

自分の好きな香港に先に行かれたという思いもありましたが、この行動力にはすごいなあと感心していました。

 

でも、周りには欧米ではないのかと非常に強く言われました。

今となっては、アジアへ出て良かったと言われますけど。

 

10年前でもそんな時代でした。その3か月後くらいでしょうか。

父は顔の右側が顔面麻痺になり、母は顔面神経痛になり。。。

姉が海外に出たということが心配でストレスも大きかったのだと思います。

 

そのような両親の姿を見て、私も海外に出て良いのか悩むようになりました。

ただ、海外で自分を試してみたいという気持ちはあり、また、北京の方から聞かされていた今後の中国の可能性というものも是非現地で体験してみたいという気持ちは日に日に強くなりました。

 

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【なぜ海外移住したのか】01ー小林克也氏との出会いで世界を知る

 

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