父の影響で金融業界へ

 

2002年に日本を離れ北京に行くのですが、その直前までサラリーマンをやっていました。

父も母も金融出身で自分も同じ道に進みました。

 

姉だけ金融は嫌だと商社に行きましたが、現在、香港で金融業界に身を置いています。

今でも銀行に行くと何となく落ち着きます。

 

就職活動をする際にさまざまな業種の中から選んでいくと思います。

金融一家というと大げさですが、子供の頃から金融が身近でした。

 

父親は非常に潔癖な人で、飲み会も1次会まで。

女性のいるお店にはいきません。ゴルフもしません。

接待を受けると融資の判断が正当にできないということがあったようです。

 

毎月、金融の業界誌を何冊か定期購読していて、自宅に郵送されていました。

その雑誌も子供の頃から何となく手に取って読むようになっていました。

 

今思えば、職場でも定期購読していると思うのですが、仕事の勉強は自分でお金を出してやるものだと言っていました。

そのような父を非常に尊敬していました。

ですので、高校くらいまでは疑問も感じず同じ金融業界に身を置くと考えていました。

 

強烈にアナログだった金融業界に衝撃

 

しかし、香港で24時間稼働して手数料も不要のATMと出会ったり、銀行口座内で株式や保険を購入できる体験をしていくと、日本の金融に疑問を持つというか、将来性が無いのではないかということは感じていました。

護送船団方式とマスコミにも書かれていましたけど。

 

そのことで、父と口論になったこともあります。

でも、日本に将来性が無いということは金融の現場でも感じていたのではないでしょうか。

 

なんとなく、29歳までに海外に出るチャンスが無ければ日本に残ろう。

29歳までに海外に出れるのなら海外に出てみようと思っていました。

 

なので、就職も自分にとって将来性がある業界と思っていました。

金融業界の他の業界との一番大きな違いは、すべての業種の会社と取引があることと父が言っていました。

 

海外に出るのなら起業しないといけないと思っていました。

ですので、金融業界に行き、多くの社長に会って勉強しようと思っていました。

 

いつかは大好きな香港に住みたいと思っていたので、金融都市である香港に住むには金融の経験があって良いだろうとも思いました。

そこで、両親と同じ道に進みました。

終身雇用先としてではなく、海外に出るための勉強の場として。

 

新人研修など終え、支店に配属されました。

今でも強烈に覚えていますが、あまりの職場のアナログさに逃げ出したくなりました。

 

支店配属初日に日報を書くようにと用紙を渡されたのですが、「まさか、手書き???」

そういえば、色々な書類が手書きのような気が。融資の稟議も手書きだったと思います。。。

 

確かに、まだまだパソコンが大衆化する前ですが、ワープロなるものはありました。

卒論はワープロの時代でした。

 

社会に出たら更に先進的な技術に囲まれるのだろうと勝手に思い込んでいましたが、「手書き」でした。。。

ATMも毎日残高をATMの記録を印刷して、お金を確認する作業もアナログで。

時代錯誤な大変な世界に入ってしまったなというのが率直な感想でした。。。

 

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【なぜ海外移住したのか】01ー小林克也氏との出会いで世界を知る

 

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