物事には2面性がある

 

中国ビジネスや中国の方の考え方を勉強していました。

しかし、私の中では香港返還という大きな歴史的イベントに向け考えることが多くなりました。

 

香港の繁栄は続くのか?
言論の自由は保障されるのか?
香港ドルは残るのか?

 

中国は返還後50年間は何も変えず、香港の現状を維持するとイギリスとの返還交渉の際に決めています。

しかし、それは守られるのだろうか?

 

初めて香港に訪れてから年に2〜3回は香港に行く生活を送っていました。

ですので、現地に友人も多く、香港人の生の声を聞くことができました。

 

ここで、意外に綺麗に意見が分かれていました。どういうことかと言いますと。。。

当時の香港は、英語が公用語で中国語では広東語が主流で、大陸の人が香港に働きに出てくると、必ず英語か広東語をネイティブ並みに話せないと職を得られませんでした。

 

中国語の共通語は普通語(北京語)です。しかし、香港では逆転していたのです。

広東語という方言が普通語という共通語より優位にいました。

 

香港という国際都市に出稼ぎに来ているのだから広東語を覚えて当然というような雰囲気がありました。

基本的に多くの香港人は普通語を話せず、英語のやり取りの方が非常に正確でした。

 

そのような時代でしたが、香港人で中国語での教育を受けている方もいました。

英語教育を受けている方々は、皆、「中国に返還されるのは怖い。」と全員が言っていました。

一方、中国語教育をしっかり受けている方は、「祖国に帰るのだから喜ばしい」と言っていました。

 

たしかに物事には2面性がありますが、香港人が正反対のことを言っているわけです。

返還が怖い方と返還を喜んでいる方。

 

これには、上記のように英語教育を受けているか、中国語教育を受けているかということで綺麗に分かれていました。

 

教育によって思想も形成される。。。

当たり前のことではありますが、教育の環境というものにも非常に興味を持つようになっていきました。

 

 

香港の隣、マカオは場末の雰囲気が漂う

 

教育の環境というものを意識するようになっていました。

 

人は環境で考え方も全て変わってしまう。今の自分も環境から作られている。

当たり前なのですけど。。。

 

しかし、香港は、悩んでいようがなんだろうが1997年には返還されるわけです。

では、悩んでないでお金を稼ごう!

こんな雰囲気が当時の香港を覆っていたと思います。

 

この明るさも植民地だった香港だからこそかもしれません。

もともと、何も持っていないわけですから。国でもなかったわけですよね。

本当に不思議な空間です。

 

 

一方のマカオは、全く活気が無いというか。。。

はじめてマカオに行ったのは1993年です。もう、20年以上も前。

 

今のMGMなどは埋め立て地に作られていて、当時は全く存在しないエリアです。

当時は、フェリーがマカオに近づくと、リスボアホテルの明かりが見えました。

本当に寂れた街で、場末の・・・という表現が適切だと思います。

 

このマカオには全く魅力を感じませんでした。

 

全く活気も無く、街はうす暗く、同じ植民地でも香港とはこんなに違うのかと。

イギリスとポルトガルの国力の差だと言われていましたが、実際のところはよくわかりません。

 

ただ、政策によって街が大きく変わるというのは体現しています。

これも、人と同じく国や地域も環境で大きく変わるのかもしれません。

 

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【なぜ海外移住したのか】01ー小林克也氏との出会いで世界を知る

 

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