英語での授業と日本語での授業、世界的に通用するのは!?

 

すっかり香港に魅せられて日本に戻ってきました。

当時は返還前の香港ブームもあり、雑誌での特集も多く香港について学ぶには良い環境でした。

 

私は法学部出身なのですが、ちょうど天安門事件をからめ中国に返還される香港の人権問題も熱く議論されていたりしました。

いつの間にか香港を通して中国を見るようになっていきました。香港は英国式で先進国。中国は共産主義で後進国。。。

 

大学の講義にはほとんど出席せず、年に何度も香港に通う学生生活でした。

そのうち香港大学の学生とも知り合い、彼らの授業にもぐったりしました。

 

そこで、更にカルチャーショックが。。。

香港大学の授業はすべて英語だったのです。

 

そして、ケンブリッジやオックスフォードから世界的に有名な教授が講義の為に交代で駐在していました。

大学の講義で使う教科書も英国の教科書でした。

日本の学生が香港大学の学生に国際的な舞台で勝てる気がしませんでした。

 

香港大学の優秀な学生は特待生としてケンブリッジやオックスフォードに留学する制度もありました。

この当時知り合った香港人の親友は公認会計士をやっているのですが、彼から会計学は理系であることを教わりました。

 

たしかに数学や数字に強くないと学べないですよね。。。会計って日本では文系の学科で特に花形でもなく。。。

しかし、先進国では金融は花形で会計学も花形で優秀な人材が入学するようでした。

 

私の家庭は金融一家ですが、金融の人間は法学部に進むべきという雰囲気がありました。姉も法学部です。

しかし、考えてみると会計学や経営学を学ぶべきだったのだろうと思います。数字に強くなり専門的に学ぶ環境であるべきですね。

 

ここで、日本の金融は国際基準に無いのだということを考えるようになっていきました。

アジアの金融センターである香港の金融マンは、イギリスの最先端の会計学を英語で学んでいるのに日本の金融マンは日本語で特に社会で通用しそうもないことばかり勉強しているといいますか。

漠然と私の子供には、このような環境で学ばせたいと考えるようになりました。。。

 

すべてが輝いて見えた香港

 

海外での教育というものに対して漠然と考えるようになっていました。

日本に大いに不満があったというわけではないのですが、バブルもはじけた直後くらいで、まだまだ“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と言われていた名残のあった時代です。

 

心のどこかで日本はすごいのだという思いがあったのでしょう。

高校時のアメリカ旅行で貧しい部分も見て、日本の方が良いという考えもあったのかもしれません。

それが、香港で一気に覆されたのでした。

 

たしかに、返還前の景気がすごく良かった時代ではありますが、日本より全てが輝いて見えたのです。

井の中の蛙といいますか。。。

 

海外を知らないことは世界から取り残されてしまうのだと、恐怖にも似た思いがよぎりました。

ATMが24時間稼働しているだけでも驚きだったのですから。。。

 

旅行だけでは見えない香港があるはずだ。

まずは香港に住んでみようと思い、1か月の香港大学の広東語研修に申し込みました。

 

周囲からは、香港に語学研修なんて何をしているのだといわれましたが、私の目的は香港を知ることでしたので特に気にすることも無く参加しました。

ここで、さまざまな刺激を受けることになります。

 

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【なぜ海外移住したのか】01ー小林克也氏との出会いで世界を知る

 

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