「シンガポールに住む」と書いた高校時代の日記

 

マレーシアやシンガポールという存在について、次第に意識をするようになりました。

そして、自分自身もアジア人だという意識は明確になってきました。

 

しかしながら、相変わらず海外に行こうという考えを持っていたわけではありません。

日本もバブルの余韻が残っていて国全体に活気がありましたしね。

 

ただ、今後、アジアの時代になっていくというのは社会の先生の影響か、報道の影響か意識するようになっていました。

その中で中国の成長までは目が行きませんでしたが、新興国の中で英連邦に属していた国々の成長は間違いないだろうと思っていました。

 

当時の新興国は欧米の工場のような位置づけでしたので、英連邦であったという歴史は非常に優位性が高いと思っていました。

そして、香港が中国になってしまうので、その後を継ぐのはシンガポールなのかもしれないと。

 

海外に行くつもりはなかったはずなのに、なぜか、高校時代の日記に「シンガポールに住む」と書いてあります。

感情的には海外は嫌だと思っていたのですが、海外に出ていくべきだという考えが芽生えていたのでしょう。

 

高校は大学の付属だったので受験勉強も不要で無駄に色々考える時間があったのかもしれません。

しかし、今考えるとつくば万博に始まった海外への思いが紆余曲折ありましたが、海外に行きたい、海外に行きたくないなど、自分自身でも全く考えも定まらない中で、常に海外を意識して考え続けたことが今の自分につながっているのかなと思います。

 

いずれにせよ、自分が海外に住むとは日記に書きながら具体的な問題としてとらえていくには、まだ時間がかかりました。。。

 

香港でまさかの「ただいま」

 

自分の興味がどんどんアジアに傾いていきました。

しかし、当時のアジアは日本国内でも情報はあるわけではなく、非常にマイナーなエリアであることは間違いがなかったです。そして、海外に行かないという気持ちも変わらず強くあり。。。

 

そのまま高校を卒業し大学に入りましたが、特に何かが変わったというわけでもなく普通の学生でした。

そのような自分を見て家族が心配するようになりました。

 

せっかく高校一年で海外を経験したのに、そのおかげで海外を嫌ってしまった。このままでは、これからの時代を生きていけないと考えたようです。

 

そこで、強制的に海外旅行に連れ出されました。行き先は香港。ヨーロッパの雰囲気を残しつつ日本からも近い地域という選択です。

あまりアジアアジアしてしまうと現地で馴染めないのではということですね。

 

でも、本当に行くのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

しかし、この香港旅行が完全に大きな人生の転機になります。

香港にやられました。。。

 

今は無き「啓徳空港」に着陸する瞬間、信じられないことに「ただいま!」とつぶやいていました。

 

今でも上空から見た夜景をはっきり覚えています。

そして、着陸する瞬間のなんともいえないノスタルジー。

 

アメリカでは感じなかった感覚。

この旅行をきっかけに海外に住むことをはっきりイメージするようになっていきます。

その時、大学一年の時でした。。。

 

「国際自由人シリーズ【なぜ海外移住したのか】」を最初から読みたい方はこちら

【なぜ海外移住したのか】01ー小林克也氏との出会いで世界を知る

 

Pocket