アメリカで考えさせられた自由

 

アメリカから戻ってきて更に悶々とした日々を過ごすようになりました。

 

アメリカに行けば何かがあると思い込み旅立ち、自分の描いていたアメリカと違っていた事実に困惑していました。

一番大きなショックは、アメリカは世界一豊かな国だと思っていましたが、ネイティブアメリカン居住地であったり、中部の人たちの決して裕福そうに見えない生活ぶりにアメリカの影を見たといいますか。。。

 

自由の国アメリカで自由が無い人たち。

差別について考えるようになりました。そして、自由に生きるということ。

 

ネイティブアメリカン居住地の人たちは、自分で住む場所も現実的には選べない環境がありました。

これがアメリカなのか。。。本当に信じられませんでした。

 

社会科の先生や英語の先生に質問をしていきました。でも、先生方も知らなかったこともあるようでした。

自分の中で更にぐるぐるしていき。。。

 

 

そして、ソウルオリンピックを機会にアジアの植民地政策や差別を調べるようになっていましたが、さらにネイティブアメリカンへの差別。

 

アメリカにおける差別。決して人は自由ではない。

自由を手にするためには何が必要なのか。

 

本当に全てが分からなくなりました。

 

しかし、自分の中でアメリカだけが海外ではないということに、ようやく踏ん切りがついたと言いますか、自分がアジア人だということは意識していくようになりました。。。

 

アジア人として意識の目覚め

 

人はどのような生活を送ることが自由なのか。

自由というものにフォーカスしていく中で、植民地を経験したアジアへ自然と目が向くようになりました。

 

ソウルオリンピックを契機に、植民地政策や日本の歴史も考えていくようになりましたが、アメリカへの旅行を経て、アジア全体の植民地政策というものに興味を持つようになりました。

 

アジアを考えていくうえで中国の存在は無視できません。

当時の中国は共産圏で(今も一応そうですが)、あまり深く知ろうという対象ではありませんでした。

 

しかし、アジアの中心は常に中国だったということは歴史を再確認するなかで動かしがたい事実のようでした。

日本がアジアの盟主ではないのか。。。

 

たしかに歴史の授業で日本は中国に貢物を送っていたと習った気がします。

でも、当時の中国にはその面影も無く、気味が悪いという表現は良くないかもしれませんが、隣国だけどよくわからないという印象を持っていました。

 

自分がアメリカに行ったのは高校1年のとき、1989年8月ですが、その年の6月に中国で天安門事件が起こっていました。

この事件をきっかけに中国の人権問題も大きく報道され、香港返還に向け香港人の海外への移住も拍車がかかり、香港という存在が自分の中でも認識されるようになっていました。

 

イギリスの植民地である香港。1997年に中国に返還されるようだ。

香港人は共産党の一党独裁を恐れ移住を余儀なくされている。

 

当時は西側の視点での報道ばかりで、そもそも、植民地であることは人権や国権を侵害していないのかという論議は無かったように思います。

私も、イギリスに統治されている香港には人権があり、中国のような人権の無い国に返還されるのは恐ろしいことだと考えていました。

 

ただ、海外に行かないと宣言した自分には、あくまでも歴史上や報道上の問題であって、まさか、将来香港に住むことになるとはつゆほどにも思っていませんでした。

 

香港人はかわいそう。

中国は怖い国だ。

 

ただ、これだけの認識でしかありませんでした。

 

「国際自由人シリーズ【なぜ海外移住したのか】」を最初から読みたい方はこちら

【なぜ海外移住したのか】01ー小林克也氏との出会いで世界を知る

 

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