横浜中華街でアジアへ目を向ける

 

なんだか悶々とした日々を過ごしながら、やり場のないパワーを持て余すようになっていました。

 

特に問題児ではありませんでしたが、先生方からは非常に扱いづらい生徒ではあったようです(苦笑)

担任の先生はもとより、学年主任、校長と呼び出されるようになっていきました。

 

ここに関しては今でも自分は悪くないと思っていますが、模範的な生徒でなかったのは間違いないでしょう。

自己主張の仕方が未熟だったということですね。

 

どの学校にも素行の良くないグループがいると思いますが、自分の意思とは反して、先生方には同じに見えていたようです。

自分の居場所はここではないと感じていました。

 

私自身は、中学で何をしてよいかわからず、引き続き海外に行ったら自分は何をしたいのかということを考えていました。

英語圏への興味を持ちつつ、中華系への興味もわいてきたのもこの頃です。

 

父親が中華料理や横浜の中華街が好きで、よく食べに行っていました。

日本なのに別世界というか、中華街では中国語が話され、本格的な中華料理が提供され、中華系の寺院もあって。。。

海外に住む場合に、このような形式もあるのだなあと思っていました。

 

お店の人と日本で生まれて中国人として生活することはどのように考えているかとか質問したりもしました。

日本人と言う人もいれば、中国人と言う人もいて。。。

 

国籍やビザなどを社会科の授業で気になり出したのもこの頃ですね。

日本人が海外でこのような街を作っているのかも調べていきました。

 

過去の戦争や台湾や韓国が日本統治の時代があったことなども授業では習っていたのでしょうけど、きちんと意識できてきたのもこの頃です。

少しずつアジアを注目するようになっていきました。 

 

アジア各国に興味を持つ一方で、英語への疑問が湧く

 

少しずつアジアに注目をしていく中で、中学3年の時にソウルオリンピックがありました。

このとき社会科の授業で、ようやく韓国も先進国の仲間入りをしたというような話でした。

東京オリンピックは、その24年前に開催されていましたが、日本との比較が盛んにされていたと思います。

 

自分の中でオリンピックというのが国の成長の一つの目安となり、その国民の意識も国際社会で認められる存在になったという気持ちになっていくのだと感じました。

ここで、同時に韓国と日本の歴史なども学んでいくことになります。

 

海外に出るうえで、日本の歴史を知っておくことも重要ですが、更に現地の歴史や日本との関係なども学んでおくと現地で深い人間関係を作りやすいかもしれません。

 

つくば万博で海外に興味を持ち、中華街で中国や台湾に興味を持ち、ソウルオリンピックで韓国に興味を持つ。

 

自分はアジアに向かうべくして向かったのかなと今は思いますが、周りからすると海外=アメリカという人が多かったので、なぜアジアに興味を持つのかという目で見られていた気がします。

海外に興味があるというと、ハワイやアメリカが非常に身近でしたね。

 

となると、いつの間にか英語を軽視しているというか、英語って所詮英語圏の言葉なだけではないのかと英語習得に向け非常にやっかいな気持ちが生まれてきました。

なぜ、英語を学校で勉強するのだろう・・・!?、と。

 

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